大学三大駅伝の1つだった能登駅伝とは?その歴史とコースも

50年ほど前まで大学三大駅伝の一つとして知られていた能登駅伝

どのような駅伝だったのかご存じですか?

能登駅伝なんて初めて聞いた、そんな方も多いのではないでしょうか。

実はこの能登駅伝、3日間にも及ぶ過酷なレースだったんです。

なんと全26区間、総距離341.6kmもあったそうですよ。

能登半島はみなさんもご存じの通り2024年1月1日に大地震が起こり、現在も復興・復旧作業が進められています。

そんな中、密かに鎮魂と復興の思いを込めた「能登半島一周駅伝を2029年に」といった声もあり注目されつつあるようです。

そこでここでは、今は無き能登駅伝について深掘りしていきたいと思います。

といっても、細かい大会のルールや大会概要といったデータが少なく、正確にお伝えすることができません。

予めご了承くださいませ。

※ この記事での「能登駅伝」と現在も開催されている「全能登駅伝競走大会」は別のものになります

大学三大駅伝の1つだった能登駅伝とは?その歴史も

それではまず、能登駅伝とはどのような駅伝だったのでしょうか。

その歴史について見ていきたいと思います。

能登駅伝の正式名称は?

能登駅伝の正式名称 : 全日本大学選抜 能登半島一周駅伝競走選手権大会

能登駅伝 開催のきっかけは?

そもそもどのようにして能登駅伝が開催されることになったのでしょうか?

遡ること1968年、能登半島が国定公園に指定されたことが始まりでした。

「日本最後の秘境・陸の孤島」として注目を浴び、全国から多くの観光客が集まるようになりました。

そしてさらに能登半島を盛り上げていこうと企画されたのがこの能登駅伝だったんです。

当初は1回のみの記念行事として企画されていたのですが、大会終了後、主催者である読売新聞社や駅伝関係者などからの評判も高かったため2回目以降も開催されるようになったとのこと。

箱根駅伝は関東ローカル大会ですが、能登駅伝は日本全国の大学生が参加できる全国駅伝

1970年代までは三大駅伝と言えば「箱根駅伝」「伊勢駅伝」「能登駅伝」と言われていたのだそうですよ。

そのくらい代表的な駅伝だったんですね。

第1回大会 (1968年) の参加チームは9チームでしたが、最終的には12チームにまで増加。

第10回大会 (1977年) の上位3チームを紹介すると、1位は日本体育大学、2位は東京農業大学、3位は大東文化大学ということで、今でもよく知られている大学が名を連ねています。

以下、4位 京都産業大学、5位 中京大学、6位 東海大学、7位 駒澤大学、8位 大阪体育大学、9位 東北学連、10位 北信越学連、11位 大阪商業大学、12位 北海道学連。

このように全国9チームの他、学連選抜3チームが参加しました。

過去には九州学連や中国・四国学連の選抜チームが出場していたこともあるようです。

まさに全国駅伝大会といった感じですね。

能登駅伝はなぜ終了してしまったのか?

第10回大会まで続いていた能登駅伝ですが、なぜ終わりを迎えてしまったのでしょうか。

もっとも大きな要因とされているのは大会運営費です。

3日間にも及ぶ大会ということもあり、選手や監督の旅費・宿泊費なども運営の負担になっていたようです。

当初は主催である読売新聞社が最大のスポンサーとなっていて、以下、関係市町村、石川県、富山県などのバックアップに支えられていました。

一方で大会運営は北信越大学陸上競技連盟による「手作り駅伝」だったため、不慣れな場面に批判の声もあったのだとか。

そして1973年10月のオイルショック以降、物価が高騰したことが大会運営にも大きな影響を与えました。

スポンサーからの収入も減り、第9回大会の時点で宿泊費及び旅費は全額自己負担となってしまったのです。

こうした大会運営費の困難に加え、伴走車から学生が転落する事故が発生、安全面の管理においても警察から指摘を受けるなど大会組織側にも問題があったと見られます。

大会を安全に継続していくためには多くの方の支援と協力が必要なんだなと痛感します。

能登駅伝の26区間のコースについて

それでは次に、能登駅伝のコースについて見ていきたいと思います。

全26区間、総距離341.6kmの能登駅伝は能登半島を一周する駅伝ということもあり、海沿いを走る区間も多く美しい景色と起伏に富んだコースとなっていました。

なお、ここでは最後の開催となった第10回大会のコースを参考に記載しています。

第10回大会以前の区間距離が異なる場合もあることをご理解ください。

能登駅伝 1日目

高岡~珠州 10区間 141.8km

1区 高岡~氷見 18.0km
2区 氷見~黒崎 18.9km
3区 黒崎~七尾 15.7km
4区 七尾~中島 18.1km
5区 中島~穴水 16.7km
6区 穴水~上曽山 11.0㎞
7区 上曽山~鵜川 11.4km
8区 鵜川~宇出津 9.0km
9区 宇出津~松波 12.3km
10区 松波~珠洲 10.7km

能登駅伝 2日目

珠州~輪島 5区間 70.6km

1区 珠洲~粟津 14.4km
2区 粟津~狼煙 6.9km
3区 狼煙~大谷 16.7km
4区 大谷~南志見 17.5km
5区 南志見~輪島 15.1km

能登駅伝 3日目

輪島~金沢 11区間 129.2km

1区 輪島~上縄又 7.8km
2区 上縄又~門前 13.km
3区 門前~剱地 11.4km
4区 剱地~富来 12.8km
5区 富来~直海 15.1km
6区 直海~志賀 8.6km
7区 志賀~羽昨 14.1km
8区 羽昨~高松 15.6km
9区 高松~津幡 12.8km
10区 津幡~藤本 7.4km
11区 藤本~金沢 10.5km

選手は複数回出場することができる?

一つの大会に選手がエントリーできるのは一つの区間というのが一般的ですが、大会資料によるとこの能登駅伝は一人の選手が複数回出場していることが分かりました。

例えば、1日目と2日目に出場している選手、1日目と3日目に出場している選手がいたのです。

中には3日間連続で出場した選手もいたようですよ。

1チームのエントリーは何人までなのかといった情報までは見つけられなかったのですが、チーム状況によっては一人の選手が複数回出場することで最後の区間までタスキを繋いでいたと考えられます。

能登駅伝が幻の駅伝と言われる理由も

それでは最後に、能登駅伝が幻の駅伝と言われている理由について見ていきたいと思います。

1968年から1977年の10年間しか開催されていなかった大会約50年ほど前であるため、能登駅伝を知っている人は駅伝をよっぽど好きではない限り、知る人が少なくなってしまったことが大きな理由といえるでしょう。

また調べていても感じましたが、約50年も前の大会ともなると今のように公式サイトがあるわけでもないですし、WEBから得られるデータが少ないというのも能登駅伝が知られていない原因なのかなと思いました。

もし、もっと能登駅伝について詳しく知りたいという方がいらっしゃいましたら、金沢星稜大学 大久保英哲学長が執筆された『箱根駅伝を超えようとした幻の「能登駅伝」』という書籍がありますので、読んでみてはいかがでしょうか?

参考 箱根駅伝を超えようとした幻の「能登駅伝」能登印刷出版部

能登駅伝まとめ

1970年代に日本三大駅伝の一つと言われていた能登駅伝についてお伝えしてきました。

箱根駅伝の2日間ですら大変なはずなのに、3日間に渡って行われる駅伝があったというのは驚きました。

そして大会規模が大きかったゆえに継続していく上での運営費、安全管理や人員の強化などが追いつかずに衰退していってしまったことも分かりました。

能登半島復興の一環として能登駅伝の復活はあるのでしょうか?

とても気になるところです。