かつて駅伝の国際大会が千葉県で行われていたのをご存じでしょうか。
駅伝の国際大会は佐鳴湖国際駅伝大会(静岡県浜松市)や川崎国際駅伝(神奈川県鶴見川河川敷コース)などでも行われているのですが、千葉県でも駅伝の国際大会が行われていました。
というのも、第26回大会を最後に国際千葉駅伝は終了してしまっているんです。
どうして長く続いていた駅伝大会が終了してしまったのか、気になりますよね。
そこでここでは国際千葉駅伝はいつから始まったのか、そしえなぜ第26回大会で終了してしまったのか、その歴史について見ていきたいと思います。
ぜひ最後までご覧になってみてくださいね。
駅伝の国際大会が千葉県で開催されてた?国際千葉駅伝とは?
それではまず、国際千葉駅伝はどのような大会だったのか、詳しく見ていきたいと思います。
なお、第1回~18回大会までは男女別で行われており、第19回大会以降は男女混合でのレースとなっているため、それぞれの区間距離を明記しています。
国際千葉駅伝とは?
正式名称:
青木半治杯 国際千葉駅伝
英名:
Hanji Aoki-Cup International Chiba-Ekiden
主催:
日本陸上競技連盟、千葉県、千葉県教育委員会、千葉市
開催日:
11月23日
開催場所:
千葉県千葉市(かつては習志野市、船橋市も含まれていました)
コース:
千葉県総合スポーツセンター陸上競技場
→千葉ポートタワー前(第1折り返し)
→海浜幕張駅前(第2折り返し)
→幕張メッセ/千葉マリンスタジアム前(第3折り返し)
→千葉県総合スポーツセンター陸上競技場
第1回~18回大会まで男女別で開催
男子 6区間・42.195km
・1区 5km
・2区 5km
・3区 10km
・4区 5km
・5区 10km
・6区 7.195km
女子 6区間・42.195km
・1区 5km
・2区 5km
・3区 10km
・4区 5km
・5区 10km
・6区 7.195km
第1回~18回大会まで男女別で開催
男女混合 6区間・42.195km
・1区 男子・5km
・2区 女子・5km
・3区 男子・10km
・4区 女子・5km
・5区 男子・10km
・6区 女子・7.195km
国際千葉駅伝の歴史と主な出来事
それでは次に国際千葉駅伝の歴史と主な出来事について見ていきたいと思います。
国際千葉駅伝の歴史
国際千葉駅伝の始まりは1988年(昭和63年)。
国際陸上競技連盟公認の駅伝国際大会です。
国際千葉駅伝は千葉県にある千葉市を舞台に行われていた駅伝国際大会で、千葉県出身であり日本のスポーツの指導者で日本陸上競技連盟終身名誉会長でもある故・青木半治さんの功績を讃え、「青木半治杯 国際千葉駅伝」と呼ばれていました。
開催当初の駅伝コースは習志野市や船橋市も含まれていましたが、のちに千葉市内に全コースが収まるよう変更。
第1回大会(1998年)から第18回大会(2006年)までは男女別で開催されており、第19回大会(2007年)から奇数区間を男子が、偶数区間を女子が走る男女混合レースとなりました。
そして2015年11月23日に第27回大会が開催される予定でしたが、同年5月27日に日本陸上競技連盟が第27回大会の中止及び、大会自体を廃止することを発表。
結果的に第26回大会(2014年)が国際千葉駅伝最後の大会となってしまいました。
国際千葉駅伝の主な出来事
記念すべき第1回大会(1998年)には、ソウルオリンピックで9位に入賞したあの瀬古利彦さんが出場しました。
日本チームのアンカーを務めた瀬古利彦さんはこの日をもって現役を引退。
大会終了後には競技場で引退セレモニーが行われたそうですよ。
また、第9回大会(1997年)にはのちの2000年シドニーオリンピックで金メダルを獲得した高橋尚子さんも日本チームで出場しているんです。
国際千葉駅伝にオリンピックで活躍した選手が2人も出場していたなんてすごくないですか?
そして第26回大会(2014年)には男女混合レースとなってから日本代表チームが5年振りの優勝を飾りました。
チーム別の優勝回数を見てみると、男女別の時代は日本男子チームが4回(2位)、日本女子チームが10回(1位)、男女混合時代の日本代表チームは3回(2位)ということで、日本チームは全体的に強かったことが伺えます。
次いで優勝回数が多いのは、エチオピアやケニアといった世界的にも力のあるチーム。
さすが国際駅伝といった感じですね。
国際千葉駅伝が第26回大会で終了した理由
それでは最後に、なぜ国際千葉駅伝が第26回大会で終了してしまったのか、その理由について見ていきたいと思います。
主な理由としては、国内外において駅伝やマラソンの国際大会の増加に伴い、長距離の有力選手が活躍できる場が増えたこと。
こうした背景もあり過密化した競技日程の中で国際千葉駅伝に出場する有力選手の参加が難しくなってしまった、ということなんですね。
出場選手が集まらなければ大会は開催することはできませんし、駅伝やマラソンの国際大会が増えている状況で選手の意思を尊重するならば、国際千葉駅伝を廃止せざるを得なかったのかもしれません。
第1回大会(1988年)に引退レースとして出場した瀬古利彦さんも、国際千葉駅伝廃止を受け「寂しいよね」という言葉を残しています。
選手やファンに親しまれてきたからこそ26年も続いたものと思います。
2007年には国際レベルの大会では初となる男女混合駅伝となり、日本国内の貴重な国際大会として選手の強化・育成に大きく貢献したことは間違いないでしょう。
国際千葉駅伝まとめ
国際千葉駅伝について大会の歴史やなぜ第26回大会で終了してしまったのか、その理由について解説していきました。
現代ほど駅伝やマラソンの国際駅伝が身近ではなかった時代に、オリンピック選手も出場するような大会を開催していたというのはとてもすごいことですよね。
また、海外の選手を間近で見れるというのも、地元の方にとってはとても貴重な体験だったのではないかなと思います。
このような国際駅伝が千葉県で行われていたというのは、日本人としても嬉しいことだなと思いました。